NOBU 335 Release!

NOBU 335


『NOBU 335』 2005/7/5 Released! \2,500-



NOBU 335/大森信和

1.Don't want you no more(Spencer Davis/Edward Hardin)

  1〜3曲目は、ラスト・ライブの演奏です。スタートを飾るのは、大森さんが敬愛する
  デュアン・オールマン率いるALLMAN BROTHERS BANDのナンバー。
2.1954 BLUES(Tanaka)
  田中一郎のAlbum「my home town」から。以上二曲は、KIT 16結成時、オープニングの定番でした。
3.Taka-ton(Omori)
  初のSolo album「Peace & Freedom」から。
4.Susie Q(Hawkins/Lewis/Broadwater)
  4〜7曲目は、梅島YUKOTOPIAでのライブ。田中、大森、松藤の三人で三回 開催された内の二回目。
  毎回、ホーム・パーティーのような特集コーナーがあり、一回目はビートルズ、三回目はGS、
  で、二回目はCCR特集だった中の一曲。
5.ノスタルジア〜メガロポリス・ノクターン(Matsufuji)
  松藤作の名曲。元々はエレキのインストだったが、生もイイね!
6.G-Blues(Omori/Tanaka/Matsufuji)
  即興のブルースですが、下敷きはジミ・ヘンです。
7.Junk TV boy(Saeki/Tanaka)
  田中一郎のSolo「IN」から。しかし、どの曲も、ソロは大森節です。さすが!
8.25時の追跡(Omori)
  KIT 16のAlbumに収録されたライブ・バージョンのリマスターです。第一期KITの名演です。
9.RING(Matsufuji/Omori)
  松藤&大森の、メールのやりとりで制作された曲ですが、ベーシックは松藤が固め、
  大森さんは、ギター・ソロ気分で重ねていったようです。


1.〜3. 2003/5/5 at ell.FITS.ALL with 田中一郎、市川洋二、西川貴博
4.〜7. 1998/3/29 at YUKOTOPIA with 田中一郎、松藤英男
8. 1997/10/14 at POWER STATION with 田中一郎、河村智康、榎本 高
                from Album『Let's Fly Out/KIT 16』
9. New song Rec. in 2003 with 松藤英男



大森信和(1951〜2004)

1951年、9月3日、熊本県人吉市生まれ。
    中学高校時代、ビートルズのシングル・レコードは、すべて発売日に購入。
1970年、大学進学で福岡に住む。そこから、フォーク、ロック、ブルース と、
    彼のバンド人生がスタートする。
1973年、デビューを控えた甲斐よしひろがバンドを結成。ギタリストして参加。
1974年、甲斐バンドのギタリストとしてメジャー・デビュー。
    メロディアス、そして官能的なチョーキングからなる彼のギターは、楽曲に独特
    の息吹きを加え、バンドのサウンドの中核を担った。
    また、ライブでは甲斐よしひろの傍らでエネルギッシュにバンドを引っ張り、
    数々の名演を残す。
1986年、バンド解散後、レコード・メーカーでプロデューサー活動を開始。
    この時期、「BEGIN」などを手掛け、厚い信頼を得る。
1994年、所属をメーカーからプロダクションに移し、フリーに近い活動となる。
    この時期、THE BOOM、SAYOKO、小野リサ等、海外とくにジャマイカやブラ
    ジルなどの、いわゆるロックとはひと味違うシーンでの活動が続く。
1995年、元ARB、甲斐バンドの田中一郎の「KIT 16」結成に参加。
    前年末に体調を崩したが、奇跡的に回復。さらなる発展は演奏活動しかない
    との判断により参加。
1996年、甲斐バンド再結成。CD、ライブDVD、写真集など、一大プロジェクト
    となる。
    その後、完璧とはいえない体調の中、新人の育成を中心に活動。
    また、音楽の専門学校の講師として、ロックのアンサンブルの授業を担当。
2004年、7月5日、永遠の眠りに就く。



「ずっと一緒だった。オレがガキだった頃から、温かかった。
ぶつかった事もあるよ。少しだけ。
でも、いろんなものを一緒に生んできた。そう思う。
そして、最後のライブも一緒だった。
だから…、だから、これからも一緒にいたいから、
この音をみんなに届けようと思った。」
NOBU 335                  by 田中一郎