大森さんへのお手紙

大森さん、ありがとう!本当にありがとう!




初めて一緒にステージに立った時の事、ハッキリ覚えてますよ。
甲斐バンド誕生のずっと前、甲斐さんのエレクトリック・セット
の二回目。大森さんがベースで、僕がギター。先日、たまたまそ
の時の写真を見たばかり。確か、衣裳も二人で買いに行ったよね。
その日演奏した「恋時雨」。あのアレンジがそのままレコードに。
なんか嬉しかった。貢献できたみたいで。僕は十八歳、大森さん
は二十一歳の時。

次はいつだろう?「やせた女のブルース」の録音。あの時「SGを
貸してくれ!」って言われた事がすべての始まりなのかなぁ。僕
はSGを持って音響ハウス・スタジオへ。弾く予定などなかった
僕が一回目の間奏を、二回目を大森さんが弾いた。同じギターで
同じセッティング。でも音は全然違う。最高だよね。
で、その年の暮れのコンサート。神田共立講堂と大阪のサンケイ
ホールにゲストで呼ばれた。あっ、セイ・ヤングの真夜中のパー
ティーにも呼ばれたっけ。あまり知られてないけど、あれがARB
結成のきっかけなんだよね、本当の。1976年暮れのこと。

それからは甲斐バンドのすべてのアルバムに参加している。特に
箱根のロックウェル・スタジオでのセッションはたくさんの思い
出があるし、勉強にもなった。佐藤英二氏と三人で、たくさん、
本当にたくさん奏でた。
僕がやってたのは、どれも1ギターのバンドだったので、ダビン
グではなく同時に複数のギターを鳴らすのは最高にスリリングで
気持ち良かった。
ある真夜中、麹町のサウンド・イン・スタジオ。「Gold」の
間奏を録っていた。弾いているのは僕。抱えたギターは大森さん
の335。そして大森さんはガラスの向こうからディレクション
をしている。甲斐さんは倒れるように仮眠中。
みなさんには理解しにくい風景かもしれないけど、甲斐バンドに
とっては普通。カッコ良い音を録るためにはどんな形式もアリな
んだ。信頼し合う人間同士なら。

1983年暮れ。甲斐バンド加入を決意する時、本当に暖かく迎え
てくれた。「俺たちは一緒にやるために生まれてきたんだから。」
大森さんからの電話。嬉しかった。
それからは、ず〜っと一緒だった。ギターの工場にもよく行った
よね。
あの頃と一番違うこと。煙草だね。二人で一日160本くらい吸っ
てたもんねぇ。もう長く吸ってないけど、工場に向かう車の中、
煙草を吸う度にクーラーのスイッチを切り替える大森さんの左手、
鮮明に覚えている。

驚いたよ。大森さんがバンドを辞めたいって言った時。僕も辞めた
経験があるから責めるなんてことは出来ない。でも、何故? 今?
と思った。

解散してからしばらくは、あまり会わなかったよね。でも新人の音
を持って何度かFUN〜に会いに行ったっけ。元気だったよねぇ、あ
の頃の大森さん。
その頃知り合ったBEGINや陣内大蔵君たち、みんな大森さんを信頼
していた。なんか嬉しかったな、自分のことみたいに。

1994年だったか、スタジオで録音作業中、突然、大森さんが倒れ
たという連絡。武石さんからだった。危篤に近いということだった
が、絶対大丈夫だと思った。死なれてたまるもんか!って思ったよ。
それからしばらくして、また時々会うようになって僕は閃いた。一
緒に演奏すれば良いんだって。何の理由もなく。
KIT 16の初ライブは1995年10月。渋谷ラ・ママ、なんと深夜1時。
大森さんが演奏できるなら、甲斐バンドだってできる。
だから翌1996年はBIG NIGHT。盛り上がったよね。

その後、ハッキリしない体調のせいで、突然ライブを欠席すること
も少なくなくなった。でも、「簡単にHPが作れるサイトがあるよ!」
とか「最近の自宅録音用のハード・ディスク・レコーダー、凄いよ
!」とか言うと、すぐに実行に移していた。そして、初のソロ作品
を発表した。やっぱやる時はやるよね。というか出来ることはずっ
とやってたんだよね。着実に。

去年の5月5日の名古屋E.L.L.でのライブ。一緒にやったのはあれが
最後になってしまったね。JAMESがあの日のMD持ってたから、
ちゃんと聴いて、家族に届けるよ。
でもさぁ、あの時「25時〜やらないの?」って聞くと「う〜ん…。」
返事なし。「じゃあ、阪神が優勝したらワンマンやる?」「うん!
その時にやるよ、25時!」…って、楽しみにしてたのに。

お別れは言いたくないけど、しばらく待っていてください。
大森さんに会いにたくさんのミュージシャンが集まりました。
松藤、英二、久、THE BOOM、高、カースケ、西川、RUMI、PEE、
一彦、ジャラ、BEGIN、他にもいただろうし、どうしても来れなか
った人、連絡の取れなかった人、たくさんいる。
甲斐さんは少し夜遅く来ていた。二人だけで話したかったのかなぁ。
でね、みんなで話したんだ。「生きているうちに楽しいセッション
を、たくさんしておけよ!」って大森さんが集めてくれたんだね、
って。
だから、ちょっと待っててね。
そして、みんながそっちに行った時、甲斐バンドは勿論だけど、
KIT 16もやろう! 梅島でもやろう!

大森さんと知り合えて、演奏して、僕が得たもの。
言葉では言えない大きな贈り物を抱いて、僕はもう少し頑張ります。
これから、ギターを抱えてステージに立つ時、大森さんを忘れるこ
とはないでしょう。僕とみなさんとの会話、是非見守ってください。
そして、ライブからの家路。星になった大森さんに手を振ります。
必ず。

大森さん、ありがとう!本当にありがとう!
一緒に演奏すること、最高に楽しかった。どうもありがとう!


                          田中一郎
                          2004/7/9

P.S. 信昭さんに会ったら、よろしく伝えてください。で、一緒に
演奏してあげてください。たぶん、かなり退屈してたと思うから。


P.S.久保さんがそちらに行かれました。是非、熱く楽しいセッションを!
                          2005/12/27